依存症 パチンコ・パチスロに翻弄された半生    私は病気。   「パチンコ・パチスロ」ギャンブル依存症です。 本文へジャンプ

ホーム
プロフィール
遊びから依存症へ
私は病気です
ギャンブル依存症とは
ギャンブル依存度チェック
ギャンブル絡みの事件簿
リンク集
サイトマッ


 遊びから{パチンコ・パチスロ」ギャンブル依存症へ

パチンコを始めたきっかけは父親だった。
まだ手打ちの時代である。

今のように椅子に座って長時間打つようなホールはない。

立ってパチンコ玉を一個一個左手で丸い穴に入れ右手でバネを弾く正に遊びだった。

台の裏には店員がいて、玉が足りないとバケツでジャラジャラつぎ足すそんなレトロな時代だった。

それから成人をし貧乏学生の時代を過ごすが、その頃から既にパチンコ屋に入り浸りだった。

その頃のパチンコ屋といえば開店時の軍艦マーチ(今では聞かないが)、アドレナリン全開の一瞬だった。

そして、その時代の流行り歌がいつも店内いっぱいに流れていた。

中でも哀愁たっぷりに流れていた憂歌団の「パチンコ〜ランランブルース」が耳から離れない。


パチンコ、パチンコ〜♪

パチンコに行くのさ〜♪

仕事終わってパチンコへ行くのさ‥♪

 アレパチ・アレジンマン

とことん虜にしたアレパチが夢に出てきた。
いち早く別れを告げにきたようだった。

その翌日アレパチが撤去され島が変っていた。

私はまるで恋人に振られたかのように、ただ茫然とそこに立ちすくんだ。

パチンコの歴史は規制の歴史でもある。
常に他のギャンブルと比較をされ、行き過ぎる射幸心を規制してきた。

しかし、監督官庁とパチンコ屋の関係は甘い癒着が存在するとも言われ、
規制を緩めたり強めてみたり全く勝手なものだ。

それにしても夢にまで出てきたアレパチに、私自身、強い癒着があったのか
も知れない?!



藤商事アレンジマン(平成5年)



 ギャンブルの本質

いかに楽しませ、うまくお金を吸い上げるかがパチンコ屋の経営手腕。この業界、不況にあえいでいるとはいえ23兆円もの売り上げがある。

規制されたばかりのこの業界、もうパチスロの「規制緩和」が早くも取り出されている。

また財政破綻した北海道の夕張市では、地域活性化のために、「カジノ」の誘致構想が盛り上がっているという。
また、仙台では大震災復興の為にカジノ誘致の話が出ているという。

財政が厳しいから「ギャンブル」で金を巻き上げようというのは、あまりにも姑息で短絡過ぎやしませんか?

震災景気にパチンコ屋がぼろ儲けしているという。
行き場を失った被災者が補償金片手に入り浸りだというのだ。

寂しさと悲しさを紛らわすためにそうなったとしても不思議ではない。ギャンブルはそんな
心の隙間に簡単に入ってきます。それがギャンブルの恐ろしさです。

何故カジノやパチンコ屋の話が出てくるのかと言うと、必ず儲かるようになっているからです。

それはギャンブルにのめり込む依存者の上に成り立っています。

TOPに戻る

 パチンコ自分史

1954年
 S29年
風俗営業法に初めて「ぱちんこ」という名称が登場。
なんという皮肉な巡り合わせ。
よりによってこの年に私は生まれた。

1973年 S48年
電動式パチンコ機が登場。
このときは本当に驚いた。
指と自動ではどっちが早いかなんてバカな事をやっていた。

1980年 S55年
フィバー機が登場。
どこまで出るのか、機械が壊れているんじゃないかと本当にビックリした。
今様のドル箱の走りがこの頃だったと思う。それまでは今のドル箱半分程度だった。

1985年 S60年
パチスロ機が登場。
あまり関心がなくつまらない遊びだった。

1986年 S61年
ペガサス(パル工業)
パチスロに興味を持ったのはこの機種だった。
チェリーとリーチの型、出目を自分で揃えることの満足感があった。
この頃から投資額が2万、3万と増え始めた。

1992年 H04年
パチンコでエキサイト、アレジン、アレジンマン(藤商事)などのアレパチが登場。
CR機(プリペイカード対応)確変が登場。

リーチがかかるとピューッという高い効果音が出ていつまでも脳裏に残った。
又、大当たりすると戦車が迫ってくるような激しい音が、気持ちを一層高揚させた。
椅子の両脇にドル箱を積み上げ優越感に浸っていた。
この頃になると金銭感覚が完全にマヒしていた。

1994年 H06年
パチンコ業界の総売上30兆円を超える。

1996年 H08年
プリペイドカードの変造が多発。パチンコにのめり込み事故多発する。
射幸性の高いパチンコ機種アレパチ等をを撤去。
乳幼児を車中に残し夫婦でパチンコに熱中。
車中の乳幼児は熱射病死する事件が多発した。

2000年 H12年
パチスロで大量獲得ができるAT機やストック機が次々と登場!

2002年 H14年
パチスロでアラジン(サミー)、ミリオンゴット(ミズホ)などAT機が登場。
アラジンチャンスに一喜一憂した。
特にミリオンゴットは吐き出す枚数が違った。
正にエスカレートの極みともいえる一攫千金機種だった。
個人的には怖くてあまり手を出さなかった。

2003年 H15年
パチスロの北斗の拳(サミー)登場。
初めて万枚を体験した。
天井が2000G、それでも回し続けた。

2004年 H16年
沖スロの南国育ちが登場。
北斗の拳がなくなり沖スロに流れた。
蝶が舞う連チャンと、大当たりのキュインという音のパトライトに魅了された。

2005年 H17年
ストック機能禁止。
ボーナスの払い出し枚数を減らすなど規制強化。
4号機の撤去が始まり5号機が登場。
2007年9月までに4号機の総てが撤去となる。

2006年 H18年
パチンコ離れによる売り上げ減少。
パチンコ業界の総売上が1995年の31兆円をピークに27兆円まで減少。
パチンコ人口も10年前より1.100万人の減少で1.660万人まで減った。

2007年 H19年
4号機が撤去され5号機に変わる。
TOPに戻る


パチンコ・パチスロ絡みの事件簿
パチンコ・パチスロ絡みの事件が絶えません。
特に中高年の犯罪は家庭、身内をも巻き込んだ悲惨な事件が多く、改めてギャンブルの恐ろしさを感じます。
ギャンブル依存度チェック
これまでの自分の行動を振り返りまとめてみました。
この病気は、本人の自覚なくして改善はあり得ません。環境適応・感情操作・金銭感覚・秘密行動を取り上げています。一度チェックしてみてください。




ホームプロフィール遊びから依存症へ私は病気ですギャンブル依存症とはギャンブル依存度チェック
ギャンブル絡みの事件簿リンク集サイトマップ

Copyright c 2008ー依存症 パチンコ・パチスロに翻弄された半生ーSome Rights Reserved.
inserted by FC2 system