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1954年 S29年 |
風俗営業法に初めて「ぱちんこ」という名称が登場。
なんという皮肉な巡り合わせ。
よりによってこの年に私は生まれた。
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1973年 S48年 |
電動式パチンコ機が登場。
このときは本当に驚いた。
指と自動ではどっちが早いかなんてバカな事をやっていた。
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1980年 S55年 |
フィバー機が登場。
どこまで出るのか、機械が壊れているんじゃないかと本当にビックリした。
今様のドル箱の走りがこの頃だったと思う。それまでは今のドル箱半分程度だった。
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1985年 S60年 |
パチスロ機が登場。
あまり関心がなくつまらない遊びだった。
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1986年 S61年 |
ペガサス(パル工業)
パチスロに興味を持ったのはこの機種だった。
チェリーとリーチの型、出目を自分で揃えることの満足感があった。
この頃から投資額が2万、3万と増え始めた。
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1992年 H04年 |
パチンコでエキサイト、アレジン、アレジンマン(藤商事)などのアレパチが登場。
CR機(プリペイカード対応)確変が登場。
リーチがかかるとピューッという高い効果音が出ていつまでも脳裏に残った。
又、大当たりすると戦車が迫ってくるような激しい音が、気持ちを一層高揚させた。
椅子の両脇にドル箱を積み上げ優越感に浸っていた。
この頃になると金銭感覚が完全にマヒしていた。
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1994年 H06年 |
パチンコ業界の総売上30兆円を超える。
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1996年 H08年 |
プリペイドカードの変造が多発。パチンコにのめり込み事故多発する。
射幸性の高いパチンコ機種アレパチ等をを撤去。
乳幼児を車中に残し夫婦でパチンコに熱中。
車中の乳幼児は熱射病死する事件が多発した。
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2000年 H12年 |
パチスロで大量獲得ができるAT機やストック機が次々と登場!
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2002年 H14年 |
パチスロでアラジン(サミー)、ミリオンゴット(ミズホ)などAT機が登場。
アラジンチャンスに一喜一憂した。
特にミリオンゴットは吐き出す枚数が違った。
正にエスカレートの極みともいえる一攫千金機種だった。
個人的には怖くてあまり手を出さなかった。
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2003年 H15年 |
パチスロの北斗の拳(サミー)登場。
初めて万枚を体験した。
天井が2000G、それでも回し続けた。
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2004年 H16年 |
沖スロの南国育ちが登場。
北斗の拳がなくなり沖スロに流れた。
蝶が舞う連チャンと、大当たりのキュインという音のパトライトに魅了された。
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2005年 H17年 |
ストック機能禁止。
ボーナスの払い出し枚数を減らすなど規制強化。
4号機の撤去が始まり5号機が登場。
2007年9月までに4号機の総てが撤去となる。
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2006年 H18年 |
パチンコ離れによる売り上げ減少。
パチンコ業界の総売上が1995年の31兆円をピークに27兆円まで減少。
パチンコ人口も10年前より1.100万人の減少で1.660万人まで減った。
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2007年 H19年 |
4号機が撤去され5号機に変わる。
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パチンコ・パチスロ絡みの事件が絶えません。
特に中高年の犯罪は家庭、身内をも巻き込んだ悲惨な事件が多く、改めてギャンブルの恐ろしさを感じます。 |
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これまでの自分の行動を振り返りまとめてみました。
この病気は、本人の自覚なくして改善はあり得ません。環境適応・感情操作・金銭感覚・秘密行動を取り上げています。一度チェックしてみてください。
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